釜爺(かまじい)

今朝のニュースで、北陸以北の日本海側では、記録的大雪に注意とのことで、一気に私の嫌いな季節となりました。

なぜ嫌いか…寒いから。(以上)

先日のリーグ戦で、長年お世話になっている先生方とお話する機会があり、70歳近くになられた御大ですので、防寒着も半端ない。

深くかぶったニット帽、ダウンジャケットにベンチコートを重ねて、手袋に、厚手の靴下を履き…これからエベレストにでも登られるのか?と彷彿とさせるお姿で。笑笑

聞けば、もうお歳で体温調整が効かなくなってしまったとのこと。

…私もじきに「恒温動物」から「変温動物」のに進化?退化?するのか。笑笑

人間の体は精密機械ですから、歳をとるとその機能が少しずつ壊れていく…これは仕方がないことかと思います。あらゆる部位の経年劣化も避けられません。。。

実際に私も、時期が来たら“体温調節機能”が狂うので、蕁麻疹という敵と戦うこととなりますから。。。笑笑

男性更年期か?「命の母」は男性にも効くのかな???

で、コロナも怖いですが、この時期は“ヒートショック”も怖いですからね。

脱衣所で服を脱ぐことすら、躊躇したくなる時期…早くぽかぽかした陽気な春が来ないかな~♪

さて、話は変わって…

今、クラブチームを発足して、ひとつの課題と向き合っています。

「意識の差」

どのようなチーム造りを目指すのかによって、その課題は変わってくると思いますが、「バスケが好き」「バスケが上手くなりたい」という言葉には、その質の違い、意識の“差”が潜んでいることを忘れてはいけません。

単純に“差”と言っても、目に見えてわかる差として“身体的な差”がありますが、身長や体格、瞬発力や筋力などの身体的な能力の違いを感じることは当然あるでしょう。

U12やU15カテゴリーでは、特に体の成長が急激に起こる時期なので「身体的な差」は確かに気になりますが、将来的なことを考えると、あまり重要視する必要はないと思います。

小学生の頃に160センチを超える大柄選手だったとしても、大人になって出会うと、それほど身長が伸びておらず…“ちっちゃいおっちゃん”になってることは普通にありますから。笑笑

私も、小学6年生で144センチ、中学3年生で166センチ、高校3年生で178センチ…そこで止まりましたかね。いや、これから縮まっていくと思われます…。

なんとか180センチ越えしたくて…牛乳とじゃこを毎日食べ、「強い子のミロ」のキャッチフレーズに踊らされミロを粉のまま飲み、「ハイリハイリフレハイリホ~♪」の音楽と「大きくなれよ~♪」って巨人の言葉を信じて丸大ハンバーグを食べる。極めつけは、ロッキーの映画のワンシーンで複数の生卵を飲むシーンに刺激を受け、鼻をつまんでとりあえず生卵を一個「ゴクン」と…はい、お腹下します。。。

でも手が届かなかった180?背が届かなかった180??笑笑

その子によって、その体の成長時期が違うので、小中学生は特に、その身長や体格の差を気にかけ過ぎると、将来の“可能性”を閉ざしてしまうこともありますから、要注意です。

それよりも大切なのは「意識の差」を出来る限り“生まない”ように努力すること。

「バスケの練習に参加することが楽しい」

「シュートを決めるのが楽しい」

「友達と一緒にいるから楽しい」

「とにかくワイワイやるのが楽しい」…など

ここから“楽しい”が始まるのは当然ですが、それが徐々に競技者としての意識に変わっていく段階での「差」が生まれ始めます。

「遊び」から「選手」へ

「選手」から「競技者」へ

これは別々のものではなく、一連のものです。

なので、オリンピック選手、いわゆる究極の競技者ですら「最後は“楽しみたい”と思います!」という発言をするのでしょう。

体の成長を気にする前に「意識の成長」を注視しておく必要があります。

遊びから楽しさを味わった者が、さらにその楽しさ(欲求)を突き詰めていった結果、最後は原点に返る…そういったお話はよく耳にしますよね。

個人的に地位や名誉を得たNBAやメジャーリーグの選手が、「チームの勝利」にこだわることや、「このチームで優勝したい」と仲間を鼓舞するのは決して“パフォーマンス”ではないと思います。

これが「自己探求」の流れであり、この「探求心」の度合いで、その子の意識レベルが概ねはかれます。

今、バスケをする中で、どの意識レベルにいるのか、チームの仲間と会話しても、そのズレがあると、その会話が成立しないこともよくあることで、子どもらの会話をよくよく聴いていると、個々によっての意識の差やズレを感じることがあります。

ただ、どちらの子が正しい、どちらの子が間違っている…そんな単純なものではないことも理解しないといけません。

その個人的な意識の差を生んでいる要因の一つに「チームの目指すもの」が関わってきます。

いわゆるチームの「目的」「目標」といった“指標”、“目指すところ”が関係してきます。

少し例えてみますが、チームを「お風呂」と考えてみましょう!

(※例えが変で、すみません…)

チームとして“目指すところ”を設定している。

お風呂や温泉で例えると…

目的は「みんなで温泉につかって素晴らしい景色を眺めながら“至福の時”を味わう!」

目標は「少し熱めの温度、42度」で…。

そこに入ると「熱いっ!」と感じる子と、「ぬるいっ!」「冷たいっ!」って感じる子、「丁度いい♪」と感じる子らがいるということ。

そこで、チームとして、お風呂のお湯に「冷水を足すのか」「熱湯を足すのか」その温度調整をしていくのが指導者の役目だと思っています。

体が冷えた子がたくさん湯船につかってきたり、外気で風呂の温度が下がったりすると、追い炊きや、足し湯をしないといけません。その逆もしかりで。

チームとして目標設定したことが、いわば「お風呂の設定温度」となるので、安易に指導者がその風呂温度を大きく上げ過ぎたり、下げ過ぎたりと、極端に温度を変えることは決してよくありません。それをすると「目標」が“見せかけの目標”だということがバレちゃいますからね。笑笑

一貫性なく、急に怒り出したり、急に褒めちぎったりするのは…設定温度というよりも、ただの“びっくり水”にしかなりませんから、みんな「チーーーーン」ってなってしまいます。笑笑

多少の微調整は必要としても、大きく変えることは、その湯船につかった子らは、驚きますし、茹で上がってのぼせたり、寒くてブルブルと震えだしたりすることもあるでしょう。いい意味での「ゆでガエル」になるように、その温度を徐々に上げる努力が必要だと思います。

ま~「習うより慣れろ」ってな昭和な言葉もありますが、しばらくするとたしかに慣れることもありますのでね。笑笑

“人間は環境の動物である”と言われるように、その「慣れることができる範囲」がその子の許容範囲かどうかは、時に誰かが見定めてあげる方が良いこともあります。

許容範囲を超えると順応する前に壊れてしまうことがありますから…。

特にクラブチームには、色んなチームがあり、その温度設定もまちまちです。

自分がどのくらいの温度のお湯につかりたいか、そのチームのビジョンや環境、指導者がどんな“釜爺(かまじい)”なのかを見定めることも、自己探求する上では必要になってくるでしょう。

自分が何を目指しているのか…その意識の違いや温度差があるのは当然のことで、その差をどう埋めるのか、どう慣れるのかが課題となります。

それと、チームが何を目指しているかも重要で、その設定温度が自分に合っているのか…ということをまずはしっかりと確認しておく必要があります。

場合によっては、自分に合った風呂温度のお湯を探して、他のお風呂を変えることも選択肢としては“あり”だと考えますし、クラブによっては、温度差を考慮して「クラス分け」をしてくれているところもあります。その子に合った適正温度があるはずです!

「石の上にも三年」

この言葉が今の時代に合っているのか…ということです。

耐え忍ぶことで得ることもありますが、耐えられずその先の道を閉ざす方が代償は大きいでしょう。

だって…育成世代ですもん。。。

完全にのぼせ上がったり、凍死しかけたりしてからでは、二度と湯船につかりたがらない…そんなことになってはとても残念なことになってしまうのでね。

シャワーで済ませるようなバスケ人生なら…そんなに気にしなくてもいいかとは思いますが。(冗談)

クラブチームには、そういった「温泉表示」をわかるように表示されているところもありますから「入泉してから始めて気づきました!」…というのは、ちょっと「不注意だったかな?」と言わざるを得ません。

「お湯の温度」「効能」「源泉100%」「かけ流し」…など。笑笑

「日本一」「全国大会出場」などの目標を掲げているチームは、それなりに風呂の設定温度が高いということをわかった上で、覚悟して湯船に入ってください。

ちなみに…頂点を目指すことは決して悪いことじゃないですからね。だって競技の世界ですもん!

前に顔を上げた者には、その目の先にある頂きが見えているはず。

高い目標を持つと言うことは、それだけ険しい道のりを歩む覚悟を持っているということですから、その登頂の過程には実に素晴らしい経験が待っているはずです。

ただ、そういった高みを目指すには、それなりの高温のお湯につかることになりますから「覚悟してつかれ!」と言うことです。登山と同じで、登る勇気も大事ですが、時に引き返す勇気も必要になるかもしれません。

あれ?登山の話になってる?…笑笑

話を戻して…

自分が気に入った温度、仲間が求めている温度、チームが設定した温度、その温度差にも気づかないまま、周りとの調和が取れなくなっていくことは、真面目に起こります。

仲間は優しいだけじゃないからね。時に厳しいことも言い合えるから仲間なんです。

チームとして団結していくということは、それに伴って「集団心理」が働きますから、この集団心理も、よい心理であればいいのですが、“諸刃の剣”のように悪い集団心理を生むこともあります。

チーム造りに長けた指導者は、この集団心理を上手く活かして、チームを強固なものに仕上げていかれます。そこには概ねブレない“湯温”が存在します。

その湯温に順応するための努力、それをどうやって満たすのか…ここに「意識の差」が影響してきます。

のぼせそうになっても、意識を持って、必死に努力している姿を見せられて、それでもなお、批判したり、馬鹿にするような子は、まだこの世代にはいないんじゃないでしょうか。私はそう思います。

ま~私くらいの年齢を重ねた者の中には、たま~におられますけどね。笑笑

与えられることや求めることだけに慣れると、自らの努力や創意工夫は影を潜めます。

「頑張っている」の尺度が個々によって違う、「一生懸命」の意味が違ってくることが、後々の「温度差」を生んでしまいます。

お湯につかってみて、思っていた以上に、風呂の温度が高かったのか、低かったのか。

そろそろ、見えてきます。のぼせる子、凍える子…そこからがチーム造りの真価が問われます。

今、そういった状況を目の当たりにしつつ、それでもなお、チームというひとつの集団をまとめあげないといけないことに、私のロースペックな勘ピューターは常に起動しています。

SILVER SHARKSの釜爺として、色んな種類の薬草を使い、彼らに合った薬湯を作れるようにと、腕を伸ばし、薬草の入った引出しを開け、薬研を使って調合、調合の毎日です。笑笑

<釜爺名言>

「手ぇ出すならしまいまでやれ!」

「気まぐれに手ぇ出して、人の仕事を取っちゃならねえ」

「ワシの孫だ」

「ワシゃあ、釜爺だ。風呂釜にこき使われとるじじいだ」

「グッドラック!」

「いいなあ、愛の力だなあ…」

なぜか心に染み入ります。菅原文太さん、ありがと~♪笑笑

SILVER SHARKS HC

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