昨晩、プロ野球のドラフト会議が行われ、地元出身の選手が西武から指名を受けたことに安堵しました。なかなか名前が読み上げられないドキドキ感。なぜ、赤の他人の私が感じているのも…面白いもので。笑笑
甲子園でのあの感動は、彼の野球にかける思いが、体全体から溢れ出ていたことによるものか…スポーツとは、音楽に似た心打たれる不思議な力があります。
恐らく彼にとっては、子どもの頃からの夢を叶えられた瞬間だと思いますが、その舞台裏には、涙をのんだ選手が多くいることを忘れてはいけません。
私もアマチュアバスケで人生を終えた一人の選手であったこと。
小学校4年生から始めたバスケ、体も小さく、筋力も弱かった自分には、周りから「凄い」と言われる選手を横目に、努力して追いつき、追い越せの気持ちが芽生えたことを今でも忘れません。
他界した父がよく「バスケでは飯は食えないから」と、バスケの虫となって頑張っていた自分に、冷めた言葉をかけたことは、今となっては親の気持ちを率直に言っていただけのことだとわかります。
そう、時代です。
「バスケを楽しむ」って今は当たり前にように言われてますが…昔は「それで飯が食えるか」という生活に直結するか否かが、貧しい家系においては、当然のように天秤にかけられましたから。。。
ただ、選手としては「バスケで飯を食う」ということは叶えられなかった自分ですが、その後、バスケット専門店で働くこととなり、ある意味、バスケで飯を食えた一人なのかもしれません。
専門店への就職が決まり、親父に「バスケで飯が食えたで!」って言い返した時の親父の失笑した顔…今でも思い出されます。真意は聞けずじまいですが、恐らく嬉しかったんだと思います。
時代は変わり今、Bリーグや、NBAの世界に日本人が登場するなど、日本バスケは大きく変化しています。
地域に根付いたBリーグで、そのチームに関わるのは、選手だけでなく、多くのスタッフや関係者がいます。昔では考えられないようなバスケに関わる職種も増えましたが、未だにそのサラリーは高いとは考えにくく、「バスケで飯を食う」という形に進化していくのは、今しばらくかかることになるでしょう。
アンダーグラウンドの指導環境も同じで、代わり映えのない「ボランティア精神」。
貴重な人生の時間を割いて、子ども達への指導にあたる方々は、何かを捨てて、その場に臨んでおられます。だからといって、敬われるべきかどうかは、別問題として、指導を受けるということへのリスペクトの精神は忘れてはいけません。
若手指導者が不足している現状、学生をチームに巻き込み、「コーチは面白いよ♪」と言っても、その先に待つ「就職」によって、指導に携われなくなることも多く、かといって、飯も食えないバスケの指導者になるために、人生の大きな分岐点を左右させるだけの説得力がないのが…今の日本です。
日本バスケの変化は、表向きは華々しく感じられたとしても、その舞台裏はまだまだ代わり映えのない時代だと悟らなくてはいけません。
さてさて、日本のバスケ界は、この先、どう進化していくのか。
その行く末をいつまで見届けられるのか。
老兵にとって、若手の躍進は、己を鼓舞する最後の原動力になり、次世代を担う若手へのエールを送る機会を生みます。
枯れ葉となり、土壌にしみいるまで。
今の時代も、そうやって積み重なった枯れ葉の上に成り立っていることを、決して忘れてはいけません。
SILVER SHARKS HC
